音楽総監督就任の証書と記念品を手に
2012年5月11日、ドイツ・デッサウ市郊外の自宅にて 聴き手・翻訳:田辺とおる
2009年5月の〈パルシファル〉で船出した《オペラ劇場あらかわバイロイト》公演の大半を指揮し、歌手やオーケストラに圧倒的な指導力を発揮しているクリスティアン・ハンマー氏が本年4月、「音楽総監督」に就任しました。それを記念するインタヴューですが、稽古や公演の後に何度となく杯を交わして議論してきた親友なので、日常会話のノリでざっくばらんにお喋りした記録です。
――まずは就任の感想から。
クリスティアン・ハンマー(以下H):もちろん、大変名誉な事と心から感謝していますよ。しかし今までも誠意を持って取り組んできたので、仕事の姿勢や責任感といった実感は変わらないな。ただ、我々の劇場が外部に向けてアピールする際に、この肩書によって一層好印象に繋がれば、と期待しているよ。
――第1回公演の話がきたときの印象は?
H:当然ながら、「えっ、パルシファルからワーグナー祭をスタートする?!」(笑)。史上最高と言われる音楽に深い敬意と畏怖の念があるから。しかも編成したばかりのオケで、いきなりこの曲というのは大きな冒険だった。
――日本でオペラを振るのは2回目だったね。
H:名古屋の「ナクソス島のアリアドネ」が最初の冒険(2006年11月名古屋市民芸術祭)。
――僕も音楽教師役で共演した。あなたは指揮の他にもセリフ役の執事長を、「天の声」よろしく録音で演じたよね(笑)。
H:知らない国と、その国の奏者・歌手たち。でも「音楽に国境はない」と思って取り組んだよ。執事長はピンチヒッターだったけど、声優参加も楽しかった。
―― 一番とまどったことは?
H:日本のオケは指揮の打点に対して非常に早く反応する事。音楽が上滑りしがちなので意図的にブレーキをかけた。TIAAフィルも最初はそうだったけど、打点への反応を何度も指摘するうちに随分修正されて、最近はかなりドイツ的なフレージングだと思う。
――歌手に対しては?
H:言葉!(笑)。正しく明瞭な発音による伝達力が曖昧だと表現に影響する。言葉は不明瞭だが表現は芸術的、などという事はあり得ない。《あらかわバイロイト》では毎回歌手が入れ替わるけど、個人差はあるものの全体的には相当向上してきたね。
――当初から、かなり歌手の個人稽古をしてくれて感謝している。今や《あらかわ》の名物になった。
H:オペラの公演指揮者がピアノを弾いて歌手に個人レッスンするのは、ドイツの劇場の大前提。日本の指揮者はあまりやらないと聞いたけど、重要なプロセスだ。
――《あらかわ》創設期の率直な印象は?
H:日本人歌手との経験も少なかったので「こりゃ大仕事だぞ」と思った(笑)。日本語的発音の克服やワーグナーの様式感を伝える事。初めて歌う人が知らないのは当然だし、選りによってワーグナーだからねぇ。でも、なるべくドイツ人歌手が歌うものに近付けたいと思って努力した。僕にとっても教え方や効果的な指示の仕方を、多く勉強できたよ。
――例えば?
H:母音の音色や子音の発音が不正確な時に歌手の顔・口を観察し、どこに動きの誤りがあるか見つけようとした。そのうち、日本語とドイツ語の発音構造の違いに気づくようになった。
――具体的には?
H:ドイツ語発音は日本語よりも明確に規定されていると思う。ことに母音。日本語にも5音の母音があるが、たとえばイ・ウなどは他の母音が混ざった音色で発音されて、響きが不明瞭だ。ドイツ語では各母音が明解に分割されるので、日本語的音声が残ると単語が聞き取りづらい。
――歌の表情は言葉に委ねられる部分が大きいからね。
H:その通り。印象的なエピソードを紹介しよう。リートの名歌手だったクリスタ・ルートヴィヒが新人の頃、ヴォルフ歌曲の演奏会をした。ヴォルフは歌うこと自体が易しくないし表現はさらに難解だが、ある評論家が「なんと素晴らしい表現・解釈だ」と賛美したところ、彼女は「言葉を明瞭に発音しようと努力しただけです」と答えた由。ワーグナーも一緒で、発音できれば内容的には半分以上近づいたに等しい。
――でもワーグナーの音符はヴォルフより長く、音量も大きい・・。
H:ヴォルフとワーグナーはもちろん違う。でも和音や旋律構造はワーグナーの方がずっと歌手寄りとも言えるよ。それよりも僕はまず「音量」という語彙に慎重だ。「もっと大きく歌って」というと、硬直して逆に小さくなる事も少なくないからね。
――とはいえワーグナーのオーケストラは厚く重い。
H:確かにそうだが、僕が〈パルシファル〉で感じ、昨年の〈神々の黄昏〉で再確認したのは「ワーグナーが要求しているのは音色だ」という事。そのためにオケ編成が大きいのであって、音量が大きいわけではない。全員合奏で歌を伴奏している箇所は極めて少ない。〈神々〉1幕のギービッヒ家の場面などが好例だが、大半は弦とホルンと、少し木管が加わる程度で、薄くて透明感のあるオーケストレーションだ。勿論2幕のように金管の咆哮の上でブリュンヒルデが歌うところもあるが、それは彼女が怒りで我を忘れている事の表現なので、音量の効果というよりはドラマの要求だと思う。
――確かにワーグナーは、そういう起伏に優れているね。
H:むしろ〈ヘンゼル〉のほうが、リング四部作よりもずっと音量が大きいところは多いよ。
《あらかわバイロイト》をふりかえる
――ドイツの劇場とは異なる《あらかわバイロイト》の興味深い点を挙げてくれる?
H:歌手もオケも、やる気満々!曲に対する研究も平均的なドイツの劇場音楽家よりずっと熱心だ。そういう人たちと共演することはとても心地良い。専属契約型のドイツの劇場で、何度もやった曲の再演で、オケから新鮮な熱意を引き出すのは容易ではないからね(笑)。TIAAフィルの練習場では4人に1冊くらいの割で床にフルスコアが散らばっている。ドイツのオケ団員なら、こんな発想は夢にも浮かばないだろう。彼らは「我々はこの曲を知っているから全体のスコアは要らない」と思っている。興味の差だね。もちろんその意欲の差は演奏にも現れるよ。
――オケも随分成長したね。
H:弦と金管の中心メンバーは当初から比較的固定していて、非常に向上した。弦の音程や響きは格段に清潔になったし、金管のハーモニーについては〈神々〉公演で特に大きな進歩を感じた。木管楽器は今まで交代が多く試行錯誤が続いているが、核になる奏者も育ってきているので徐々に成熟するだろう。オケ全体として、フレーズをより大きく音楽的に満たせるようになってきた。〈パルシファル〉では、まだそこまで至らなかったね(だから是非再演したい!)。
――確かにフレーズ感が変わってきたと思う。
H:我々は大きな発展の途上を経験しつつあるよ。「こうすれば良くなる」という、料理本のような特効薬がある訳ではないが、停滞せずに変化を続け新しい道を模索することは大切だ。奏者だけでなく僕も。オケや歌手の向上は僕自身の向上とも関連が深いので、僕の努力が彼らの向上をもたらすようにしたい。準備してきた事や理想とする響きをオケに伝え、その音を聞いて修正するということの繰り返しだろう。もちろんバイロイト祝祭やベルリンフィルと同じになる訳ではないが、しかしそのような希求は絶つべきではないからね。
――《あらかわバイロイト》は制約も多いけど・・・。
H:オケピット面積の制約は大きい。弦楽器の本数を縮小しているので大きなフレーズを描き・保つことが難しく、弓使いの工夫でクリアしなくてはならない。少ない弦においても響きを豊かにし、あまり本数の減っていない管編成とのバランスをとるには、弓を頻繁に返すことが唯一の方法だ。もちろんそれによって細部の表情が失われる危険はあるので、細心の注意が必要だけどね。しかしその状況で我々は3年以上やってきており、歌手もオケもこの環境から最高の効果をだすようになってきていると思う。
――それは、音楽作りにも影響する?
H:縮小編成なのにテンポを極端に伸ばすことはできないが、僕はそれをハンディとは思わない。新鮮で瑞々しいフレーズが作れるテンポ設定は、ワーグナーにおいても大切だ。一部の歴史的録音に見られる「いつ終わるの?」と思うほど遅いテンポには、必ずしも賛成できないのでね。
――クナッパーツブッシュの〈パルシファル〉とか(笑)?
H:忍耐の限界を超えていると思うよ(笑)。彼の録音を厳密に聞くと解るが、バイロイトの大編成オーケストラにおいても「この音をキープしなければ、もっと引っ張らねば・・・」と苦労しているように聞こえる箇所が少なくない。その後で音楽がリズム感を持って動き出すと、とたんにオケの響きも解放されたりしている。
――丁度いい中間をとる?
H:その通り。"Die goldene Mitte treffen!(黄金の中間点を射る)"。速過ぎず遅過ぎず。緊張感が続かないと思ったら少し前向きにドライブする。たとえば〈神々〉公演で、1日目の葬送行進曲は僕としてはもう少しゆったりと思ったが、その時のオケの音の流れや呼吸を聞きながら判断して少しだけ速めに振った。でも2日目はブレーキをかけて望むテンポでいけた。音楽は生き物だからね。
――今後の公演予定についても一言づつ。まずは10月公演の〈影のない女〉抜粋から。
H:劇場として初めてR.シュトラウスを採り上げるのに、いきなり〈影のない女〉は大きな挑戦だ。僕はこれまで〈薔薇の騎士〉〈ナクソス島のアリアドネ〉〈サロメ〉を指揮しているが、この作品は規模も大きいし構成も複雑。楽器編成もとりわけ大きいので管打楽器の縮小編曲も必要だ。さらにこの曲は歴史的名盤の中でも、特にカット箇所やテンポ設定が指揮者によって異なる。僕の解釈というものを確定するまでにはもっと勉強しなくてはね。
――〈タンホイザー〉第2幕も演奏会形式で公演する。
H:〈タンホイザー〉は旧友だね(笑)。ただ、ワーグナー自身も「私は世界に対して、タンホイザー(の決定版)を作るという借りがある」と言っているが、指揮者にも常に「次はこうしたい」がある。
――《あらかわ》では2009年に序曲と第1幕抜粋を演奏した。
H:もちろん今回は今回で新しく作る。いつもの通り、この自宅でピアノに向かい徹底的に弾き語りして、新たに公演準備をしてくるよ。
――他のワーグナー作品との違いについては?
H:ウェーバー的なロマン派オペラの典型で、後期のワーグナーとは根本的に異なる。とはいえパリ版のヴィーナス山の場面には〈トリスタン〉の響きが引用されるし、3幕のローマ語りの音楽構成も後年のワーグナーを思わせるものがある。時代の様式の典型で作曲しながら、そこから飛び出す要素が散見されるのは大きな魅力だね。ワーグナーはそういう成長型の作曲家で、〈ローエングリン〉のオルトルートとテルラムントの場も後期作を思わせるし、〈神々〉3幕でジークフリートの亡骸が入場してからの和音や主題には〈パルシファル〉を彷彿させる要素が内包されている。
――作品全体の様式感と、それを超えた「時代の先取り」とのコントラストということ?
H:そう。しかし僕の基礎はあくまでも、その作品のもつ様式や時代感に忠実に演奏していくこと。10月公演の〈タンホイザー〉2幕は伝統的な部分で、例えばタンホイザーとエリザベートの二重唱にある八分音符の連なりは、明らかにベートーヴェンの〈フィデリオ〉のレオノーレとフロレスタンの二重唱をモデルにしている。
――来年はモーツァルトのドイツオペラも特集する。
H:「ドイツ語オペラ」と言うべきかな。モーツァルトがドイツ語作品だけをドイツオペラとして書いたとは、僕は思っていない。〈フィガロ〉も〈ジョヴァンニ〉も19世紀のドイツオペラの礎として大きな影響力があったと思う。
自宅の庭で、愛猫「トリスタン」と
――〈後宮からの逃走〉は不可欠だね。
H:全役ともアリアが非常に難しい事がこの作品の第一の魅力。歌手の魅力を最大限に引き出す指揮をすることに惹かれるね。後期のオペラよりは若いがウィーンで最初の成功作だけあって、イドメネオの時代よりもずっと成熟している。モーツァルトは自身でカットを提案しているが、僕が以前上演したときにはこれを一部解除した。ロマン派オペラの場合はカットが不可欠で、クレー指揮の〈ウィンザーの陽気な女房〉のようなノーカット版は資料価値はあるものの劇作品としては疑問。ワーグナーでも〈オランダ人〉や〈タンホイザー〉にはカットが必要だ。しかしモーツァルトは、カットによって様式感が崩れる事も多いので注意するべきだと考えている。
――〈魔笛〉は来年6月の再演が決まった。
H:〈カルメン〉や〈ヘンゼル〉と並んでドイツでも最も上演回数の多いオペラだから我々の劇場で再演するのも当然だと思う。しかしそうはいってもこの作品は勉強し尽くすことがない。歌手やオケにとってモーツァルトは最高の試金石。「この曲は知っている」と思って取り組んではいけないね。僕自身も先々月の〈魔笛〉で、来日してリハーサルする前に自分で勉強し直したが、常に新しい発見があって自分の指揮が進化していると感じる。
――先の4月公演では初めて暗譜で指揮したよね。
H:(魔笛)の場合は楽譜置いてもほとんど見ていないからね。でも完全に暗譜だと、余計に自由な感じがあったな。クライバーが〈薔薇の騎士〉振る時の真似して、譜面台にバラ一輪だけ置いてもらった。キザだね、俺(笑)。
――ワーグナーと〈ヘンゼル〉や〈魔笛〉では、やはり指揮者として感触が違うもの?
H:〈パルシファル〉や〈神々〉のように初めて全曲指揮する作品と、数知れぬ程手がけて「真夜中に叩き起こされても振れる」〈ヘンゼル〉や〈魔笛〉とは当然違うよ(笑)。でも、どんな作品も上演前には一から勉強し直すつもりで準備するので、最初の稽古で歌手やオケを前にするときには常に新鮮な気持ちだね。
――《あらかわ》の常連歌手にも、ワーグナーとその他のオペラとの違いを感じた?
H:彼らの取り組み方よりも作品自体の差が大きいだろう。もちろん今尾さんや青柳さんのように素晴らしいワーグナーを歌うテノールがタミーノを歌うときに、より慎重に声をコントロールしている事は強く感じる。そして彼らがタミーノでも素晴らしい成功を修めていることは、とても嬉しいね。
――モーツァルトは全ての音楽家にとって試金石なんだろうね。
H:その証拠に、ドイツの劇場オーディションでは必ずモーツァルトが求められる。オケ楽器はそれぞれの協奏曲で、歌手はアリア。厚めのソプラノなら伯爵夫人等で軽めならパミーナと言う風に、必ず全ての声質に適したアリアがある。審査する人間にとって、能力を聞き分けるのには最適なんだ。
――最後に《あらかわバイロイト》の将来像についてひとこと。
H:まずは、このカンパニーが日本の音楽界でどういう位置を占めることを目指すのか、という信念の問題ではないかな?
――音楽的には?
H:いつも向上する。単純だが、それが大前提。聴衆の増加に我々演奏家が、質の問題としてどのように貢献できるのかを、常に考えているんだ。
――ありがとうございました。
「拍子抜けするほど篤実な回答」だろうか。人となり、そのもの。メディアが称賛しても、肩書がついても、共演者の尊敬を一手に集めても「大風呂敷を広げる」つもりは微塵もなく、相変わらず作品をより良く再現することしか考えない。自身が誠実に勉強し、稽古で歌手や奏者の演奏に繊細に反応することが良質のリハーサルに繋がり公演を成功に導く、という信念は初めて出会った1994年以来揺るぎがない。《あらかわバイロイト》はまさに、彼のリーダーシップを満喫していると実感します。(完)